2014年1月21日火曜日

今日の雑談 (1/21)

何をもって「努力」とするか、というお話


はてなブックマーク - 「努力する」のは最後の手段 - 脱社畜ブログ

まあタイトルの割に書いてあることは一般的。努力の仕方によっては非効率の場合があって、それが分かっていても努力をし続けることは、賢い努力とは言えませんよねって話。

ミッションに寄るよね。

昔ながらのセールスなら効率的なセールスを考えるよりは、叩いたドアの数で業績が決まる訳で、セールスの仕方についての検討は上司のお仕事だ。ドアの叩き方のスキルもある訳だが、これはもう数をこなさないとどうしようもない場合もあるし、この辺は頑張れとしか言いようがない。その非効率さは経営者レベルの問題で、所詮はサラリーを貰っている身分。努力の仕方も自ずと固定されてしまう。

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私の場合、概ね設計の検討段階で時間を費やすことが多かった。

例えば3ヶ月で何かを出荷しなければならない場合、1.5ヶ月は全体の設計の試行錯誤に費やしていたと思う。全体の動作に必要なパーツを一つ一つ適合するか検討をする作業を積み重ねていく。この作業を通じて、次の仕事に耐えうる設計にしておかなければならない。明らかにこれで終わる仕事ではない場合が殆どだからね。

この試行錯誤が結構好きなんだが上司には煙たがられてたね。動かないから不安になるらしい。でも検討している段階のは積極的に見せたくないんだよね。廃棄する気満々だから。仮に見せると「それでいいからよこせ」と奪略するし。

本来なら設計に取り掛かる前に要件を纏めるべきところなんだが、連中にその能力が無くてね。動いたものを出してから口を挟んでくる。しょうがないのでユーザーインターフェースの「皮」の部分だけ先に作って遊ばせておく。「オモチャ」を弄らせておけば連中は泣き止むのでね。

この検討の甲斐あって2回目からの設計は概ね時間が余る。その時間をテストに回したいのだが、少しでも動き出すととっとと実装期間を削るというあのマネージメントは如何なものか。

「キミの実装は最初、物凄い時間が掛かるのでヒヤヒヤするよ」

お前らが設計しないからだろ。

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そんな努力が認められてたなら俺は今、ニートになっていないわけで =)

やっぱり汗水垂らして努力する姿を演じる方がサラリーマンとしては成功すると思いますよ。残念ながら、試行錯誤の検討は努力しているとは認められないようで、この検討結果をドキュメントに残す時間も与えられないままでしたね。

まあ今となってはどうでもいい話だがな。

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