2014年3月2日日曜日

今日の雑談 (3/2)

ひふみアカデミーで言ってたフラグってウクライナ情勢のことだったのか、、、



業務報告で蛭田さんがフラグ的な話をしていたのを思い出した。

大きすぎるぞこのフラグw


パズドラ資本主義


今更、パズドラやり始めました =)。

先週の水曜日あたりから始めて今、レベル30ちょい。「結構俺すごくね?」と自画自賛していたのですが、ニコ生を見てたらなんかもうレベル300以上の猛者が当たり前のように魔法石を買って仕込まれたイベントに立ち向かってる様を見て「ああ俺はこの域に達する事は絶対無理だな」と悟りました。魔法石より牛丼に一品加えることを優先しちゃうな、俺は。

スト2(格闘ゲーム)でも50円玉をタワーのように積み上げて乱入してくる人がいて、勝つまで連続でコイン投入してくる輩に似ているなと。マナーとしてはあまり宜しくないのですが、ゲーセンと言うインフラの維持を考えると、こいう人も必要なんだろうな、と生暖かい視線を送ったものです =)。私の主力キャラはエドモンド本田で、リュウ・ケン使いによく鳥小屋にされたものです(遠い目。

で、これって資本主義の縮図だな、と。

廃課金ユーザーがパズドラというインフラを支えている訳で、廃課金ユーザーがそっぽを向かれるとインフラを維持する事すら困難になり、早々にサービスを終了してしまう。廃課金ユーザーを如何に気持ちよくおカネを出させるか、運営と無課金ユーザーの二人三脚でこの社会は成り立っている、と。

資本主義も似たような感じだろうか。

資本家にリスキーなマネーを出させることで安価な社会が構築されている。例えば莫大な研究費を必要とする新薬開発あたりは正にそれでしょう。新薬開発を税金で賄おうとすれば、失敗した時のリスクは一切考慮されることは無くなり、果てしなくおカネをどぶに捨てることにもなりましょう。病気の人がおカネを出し合って新薬開発というのも新薬の開発期間が数十年に及ぶことを考えれば現実的ではない。

課金型(F2P)とパッケージ、どっちが望ましいんだろうか。

課金が絡むと平等な環境でのプレイが困難でしょう。昨今の課金型は時間を浪費させる事で何とか平等な環境を保っているように誤魔化してはいるが、短期間での攻略もゲームの醍醐味の一つであるわけで、この辺りは犠牲になってしまう。当たり確率もかなり操作されているのも平等感を大きく損ねている。従来のパッケージだと、平等の環境が用意されている代わりにプレイするための種銭が出せないとスタートラインにも立てない。ゲームに向き不向きの分野があろうかと思うが、例えば課金型のCiv5があったとしても絶対面白くないと断言できる。

社会設計としてはどっちが望ましいんだろうか。

多分、適材適所で使い分けるしかないと思う。例えば教育の場合、課金型なら裏口入学オッケー的な話になる訳で、これでは興ざめだ。教育を受ける機会は平等に与えられないと教育と言うゲームが白けてしまう。なので、このゲームを過熱されるためにも教育費の大部分を社会が負担している。

ここまで考えて、今の社会には廃課金ユーザーが少なくなってしまったのが問題なんだろうな、という結論に至りました =)。

廃課金ユーザーが有利になる社会設計にはなっていないし、逆に無課金ユーザーがdisってる傾向すら見られる。それならパッケージを皆で買えるか、と言うとそうでもない人が結構いる。社会全員が買えるパッケージを提供しろと要求はするが、その開発費のねん出はやっぱり廃課金ユーザー頼み。そんなこんなで廃課金ユーザーが白けてしまっている状況なのかな、と。

ガンホーが詫び石を配るが如く、日銀が銀行券を刷った所で、全てが好転する状況には既にない気もする。運営がメンテを放置し過ぎたのが原因だろうけど、どうなるんでしょうな。

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