ホンネとタテマエを使い分けることが美徳とされているのがどうも腑に落ちない。
「自分の立場で態度をコロコロ変える卑怯野郎」に近いんじゃないだろうか。
例えばだ。
タテマエで選挙活動をしホンネで行政を行うって言われてもピンとこない。選挙中は当選しやすい甘言を選び、当選後は自分がやりたかった行政を行う。嘘はついていないし騙す気もないのだろう。ホンネかタテマエとと言えばどっちもホンネだろう。それが卑怯であっても。
立場が変わったから態度も変わった。それだけだ。
例えばだ。
ホームレスに住居を与えて安心した社会を作るべきだ、という。その後、ホームレスを匿う施設を作ろうとすると途端に「施設反対」と垂れ幕を街中に張りまくる、という案件は結構ある。この手の施設のことをNIMBYというらしい。さてどっからがホンネでどこからがタテマエか。どっちもホンネだろう。立場の変化によって、過去言った言葉がタテマエに変化したと考えると腑に落ちるはずだ。
ホンネとタテマエは環境や立場で変わるものなのだ。この態度の変化を抑制するには、様々な環境、立場を考慮した上で判断しなければならないのではないか、と思ってる。
覚悟をもってホンネとタテマエを使い分けるなら美徳にもなろう。だが概ね自分の立場しか見えない卑怯野郎にしか過ぎない場合が多いってのが結論。
だから何?って話だけどさ。
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