2014年5月26日月曜日

今日の雑談 (5/26)

一次創作と二次創作とソフトウェア


二次創作は一次創作を超えられない、学芸会的なものだ的な意見にちょい違和感。

二次創作は一次創作で作り上げたルールや体験や前提の相乗りだ。表現したいことがあって、それが二次創作でほぼ過不足なく伝えられるのなら、かなり効率的に表現できるだろう。一次創作の手間と時間を考えれば尚更だ。

ゲームシステムも同様。街から出てモンスターを倒すと経験値とおカネが貰え、装備を整えて敵を倒す。一連の流れがメタ化されている点では多くのRPGはドラクエの二次創作と言えなくもないのではないか。

ある種の世界観の相乗りはアリ、だと思うんだよね。

ただRPGの例にもある通り、作品を続けるにつれて「一体何を表現したかったんだろう」的な劣化コピーが蔓延る状況を見ると、学芸会的と言われがちになってしまうのは避けられないかもしれない。

重要なのは表現したいことであって、それは一次創作でも二次創作でも変わりないということ。一次創作の初期コストをペイするくらいの作品はやっぱり気合が入っているわけで、ターミネーターは2までが限界だったのかな、と。

---

表現という点ではソフトウェア開発でも同じことでして。多くのソフトウェアはOSが用意した世界観の二次創作であるべきだ、というと語弊がありそうだが言い切ってみる。

例えばユーザーインターフェース。殆どOSは、ユーザーインターフェースを統一するためのガイドラインが用意されている。一般的にはこのガイドに沿ってソフトウェア開発を行うべきだと思うのよね。

だけどどうもこのOSの世界観をガン無視するプロジェクトが実に多い。

卑近な例だとiOSの見た目をそのまんまAndroidに持ってくるとか。オリジナリティ溢れる操作感ではあるものの、使う側からすればその操作感をいちいち再学習しなければならず、かなりの手間になる。表現したい主目的がユーザーへの嫌がらせなのかと思えるほどだ。

勿論、全く新しい世界観で再学習してもあまりある使い勝手を表現できるのなら、素晴らしいチャレンジだとは思う。だけどRSSリーダーとか新しい体験が必要か?そんなんGmailとか同じ操作感で表現してもらいたいと思わないか?

---

ということで、表現したいことの力強さがあれば一次創作でも二次創作でも拘る必要はない、というのが私の結論。一次創作の方が初期コストが高く付くので最初は二次創作の方がオススメだ。絵画だって最初は一次創作の模倣から始まるものさ。

勿論、著作権の問題とかは別。混ぜるな危険。

0 件のコメント:

コメントを投稿