2013年11月8日金曜日

【新米ニート日誌】 画一化された社会というのは案外住み良いのかもしれない

「地方都市では、選択の範囲が狭いし、画一化されているのがイヤだ」と思っていた……つもりでした。
でも、本当は「もう、あまりにたくさんのものの中から、自分で選択することに、疲れてしまっていた」ような気がします。
そうだ、あまりにも「選べる」ようになってしまいすぎたから、僕はたぶん、誰かに「これがいいよ」って選んでほしかったんだ。
-- 「イオンモールは、画一化されていてイヤ」 - いつか電池がきれるまで

選択する自由がいつの間にか苦痛になっていた、という話かな。心理学か何かで読んだ話だが、あまり選択肢を広げると判断に迷いが出て決断が出来なくなるんだそうな。

まあなんか。分からんでもない。

最近、見知らぬ珈琲店巡りが楽しくなってきたのだが、未だに注文するのは「オススメのコーヒー」のみだ。未だに1人でスターバックスに入れないでいる。メニューが呪文過ぎて辛い。「ドドド、ドッピオ?」とテンパるユッコの気持ちがよく分かる。いやいつか攻略しようとは思ってるんだよ?メニューもちょっと覚えた。

でもなあ。画一化された品揃えって面白味が無いと思うんよ。日常生活ならまだしも非日常生活である商品まで画一化する傾向にあるのはどうなんだろう。

いえね。本屋さん巡りが好きでね。

平台の本を眺めるとその店員さんの本に対する入れ込み度合いがビンビン伝わってくる訳です。でも最近は、売れ筋の本や新書ばかりが平台を占領していて面白く無いんですよ。流通管理で決められている事なのかもしれないのですが、どこの本屋を見ても新しい発見に出会えないというのも寂しいことです。

その点で言うと、八重洲ブックセンターは素晴らしい。一ヶ月に一回は平台を眺めに行くことになるのですが、その時々のテーマに合わせて随時平台の書籍を入れ替えていて地道な工夫が随所に見られます。正直、あまり興味がなかった数学の本とか見入っちゃった。ああいう発見があるから本屋巡りは楽しい。

まあそんなこんなで人間の創意工夫はビックデータに負けないと、言えるのは何時まで続くのやら。


おはようございます。


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